翳り 

Missing thumb 怜衣さんからのエピソード


明正22年7月2日、午前6時22分。
空は雲ひとつ浮かんでいない快晴。
山の麓には古風な木造の屋敷と、隣接する神社がそこにある。
濡羽色の髪の少女は、神社の清掃を行っていた。
清掃は少女の日課であるが、同時に几帳面な性格の彼女の心を整理し落ち着ける行為でもある。

箒で落ち葉を払い、汗を拭う。
晴れの日は余程の事情がない限り欠かさずこの日課をこなす。
そして清掃が終わった後は朝食を摂り、その後学校に向かう。
学校が終わり帰宅すれば、再び神社の清掃を行う。
この生活習慣はもう10年続けられている。

少女は過去にあった内乱の折、日本各地の乱を鎮圧した【護国十家】と呼ばれる家の一つで、この『岩戸神社』を管理する一族《七城家》の若き当主である。
少女の名は七城柚葉。家族は祖母と母、そして年が一つ違いの弟がいる。
祖父は柚葉の生まれる前に他界しており、父は存命と思われるが現在所在不明。
母も身体が悪く自由が利かない。だから弟の面倒を見るのも自分である。
様々な要因が重なった結果、柚葉は几帳面で責任感のある人間に育った。

彼女がいつも通り日課をこなしていたところ、見慣れない一人の細身の男が参道の前を通りかかった。
裾の擦り切れた紫黒色の袴を纏っているその男。灰色の髪は無造作に乱れ、その目は酷く疲れ切った様子。
しかし男の足取りはその風貌に反しやけに軽やかだ。

「此処には用がある人か道が分からない人しか通らないのだけれど?」

男の異質な様子を見て訝しんだ柚葉は乱れ髪の男に声をかけた。
男は足を止め、柚葉の方にゆっくりと体を向ける。
一瞬の静寂の後、男はその口を開いた。

「キミは、太陽はいつまでそこにあると思っている?」

疲れ果てたように見えたその目には鋭い視線が宿り、そして真っ直ぐに柚葉を捉えている。
視線を向けられた柚葉はピリッとした気配を肌で感じ取った。

ーー質問の意図は分からない。
だが、この乱れ髪の男はきっと『普通』じゃない。
双眸の奥には得体の知れない『なにか』が潜み、こちらの様子を窺っているように見える。

「太陽というのはその身を燃やし続けて輝きを保つのだろう。ならば、太陽はいつ燃え尽きるんだ?」

男は柚葉にじわりと詰め寄る。
一歩、また一歩と距離を詰める。

「なあ、教えてくれないか?」

男の視線は柚葉を捉え続けている。
箒を握る柚葉の手は、ぎゅっと握り締められた。

「……なーんてな。驚かせて悪いなお嬢さん。」

柚葉の目の前で立ち止まった男は、それまでの様子とはうって変わって明るい声色になっていた。

「ここは太陽神を祀る神社と聞いてな、そこに美少女が居たもんだから少し悪戯心が働いちまった。」

乱れ髪の男からは先程まで纏っていた『なにか』の気配が一切無くなっていた。

「しかしまあ、ここらは空気が澄んでいて心地が良いな。それは自然が豊かだからか?それとも神様の加護のおかげ?まあ、どっちでも構わないが……今日のような晴れの日は心まで晴れやかな気分になってくるぜ。」

柚葉は警戒を解かない。
一度感じ取った『異質』はそう簡単に消えるものではないと知っているからだ。

「ああ、それでここに来た用事だが……」

男が柚葉に背を向け逆方向に歩を進めながら言葉を続ける。
……が、柚葉が瞬きもせぬ間に目の前から男の姿が消えた。
次の瞬間、柚葉のすぐ背後に男が立っていた。
そして耳元で囁く。

「俺は"復讐"をしに来たんだよ、《七城》。」

一瞬反応が遅れた柚葉は、その声が聞こえた瞬間に回避行動を取った。
もしこの男が本気で殺意を持っていたら……と思うと、この反応の遅れは致命的だ。
まだまだ未熟であると柚葉は自分を戒めた。

乱れ髪の男に相対する。
柚葉は自身の記憶を辿っていくが、この男の顔には心当たりがなかった。
柚葉は自分の記憶力に自信を持っている。
参道の前を通った事のある人の顔は全員記憶しているし、人の顔と名前を一度聞いたら絶対に忘れない。
そして何よりも、柚葉自身自覚のある中で人の恨みを買うような行動をした覚えがない。

「不思議そうな顔をしているな。言いたい事は分かる。俺の顔に心当たりが無いんだろう?」

再び異様な気配を纏った男は柚葉に対し優位性を示すような口振りで語る。

「俺はお前に会った事がある。お前が幼い頃に一度だから、覚えが無くて当然だ。勿論お前の両親にも会った事があるし、遡れば初代当主から全員と顔を合わせた事がある。」

男はさも当然のように発したが、その言葉の意味は常識的に考えるとあり得ない事だ。

七城家には200年以上の歴史がある。
柚葉は13代目当主でそれまでの当主全員と顔を合わせたとなれば『200年以上生きた』事になる。
人間がどれだけ長生きしたとしても、それだけ生きた人間は世界中探しても居ないだろう。

「信じるか信じないかはどちらでも構わない。だが俺は嘘を言ってはいないし、もし信じられないのならお前の母親の美景にでも聞いてみろ。」

「……母さんに?」

「ああ。お前の母親は遥か遠くではあるが俺の血縁者だからな。尤も、それは俺にとって最大の誤算であり汚点とも言える。そういう意味でもお前個人ではなく《七城》に復讐をするという話だ。」

柚葉の母・美景の旧姓は《雪野》である。
雪野家の血筋を辿っていくと、【護国十家】の"とある家"に行き着く。

「ここまで言えば、何となく俺の正体に目星はついたか?」

その"とある家"とはかつて国を守る為に立ち上がった同志だったが、後に村一つをそこに住む住人の命ごと触媒にした非人道的な儀式を行い、七城家に粛清された家がある。

その家の名は《六浦家》。
その初代当主は『六浦輪袮』という男。

「俺の名は『六浦輪袮』。お前達《七城》を初めとした【護国十家】を滅ぼし、この世界の理を破壊する者だ。」

柚葉の目前に立つ男は確かにそう名乗った。

「さて、次は問いかけではなく宣言といこう。」

『六浦輪袮』を名乗る男と再び視線が交わされる。
瞬間。
柚葉は金縛りにあったような感覚に陥り、硬直してしまう。

気がつけば先程まで晴天だった空には、いつの間にか雷雲が立ち込めている。

「近いうち『太陽』を沈める。世界から太陽が無くなれば、地平は闇に閉ざされ混迷を極める。そしてこの世界の『理』は乱れ、やがて崩壊する事になるだろう。」

男は再び柚葉に背を向け、立ち去ろうとする。

「世界の終末は、お前の死を以って訪れる。その日が来るまで精々輝きを保ってくれよ?輝きが強ければ強いほど、失われた際に世界に与える影響は大きいからな。」

立ち尽くす柚葉の視界からその背が消える頃、遠くの方で紫色の稲光が見えた。
程なくして豪雨が降り注ぎ始めたが、柚葉が我に返ったのは全身が冷え切る程その雨に打たれた後だった。

この時の柚葉はまだ己の未来を知らずにいた。
六浦輪袮の言う『理』が、後に柚葉の運命に大きく関わってくる事。
この時遠くに見えた『紫電』が、柚葉の戦いの幕開けである事。

そしてこの豪雨に打たれた事が原因で、学校を休む事になる事。