無知の知 

8a67e7428efedbc8de4970ced8826973 よ~ゐ⸮さんからのエピソード

僕は彼のことを全て理解していると思っていたがそうではなかった。
僕は彼なしでは生きていけないと思っているが、彼もそう思ってくれているのだろうか。


ちょうど何年か前の夏の日を思い出した。
毎日一緒に帰っているというのに奏汰くんの姿がどこにも見当たらなかったのだ。おかしいな、僕が鞄の整理をしている間に教室から出たというのか? 毎日一緒に帰っているのに?
「れいおうくんばいば〜い」
「え、あれ、れいおうくん、城ヶ崎くんは?」
「何故だか奏汰くんが見当たらないのだよ 君たち見かけたりしていないかな」
「えー分かんない 校門まで行ったら見つかるんじゃない?」
「助言感謝する」
皆が僕のことを「れいおう」と呼ぶのはニックネームなのか単純に間違えているのかどちらだろうか。浸透し過ぎてしまっていて正すにも正せないが…「れお」と本名通り呼んでくれるのは家族と奏汰くんだけなのだ。奏汰くんも家族みたいなものだが
それはそうとして、奏汰くんは体調がどこか悪かったのだろうか? いや、奏汰くんは僕に全ては語らないが体調が悪い時であれば即座にそれを伝えてくる。跡継ぎとして体調面の管理は怠らない癖があるのだろう。
それなのに僕がスポーツで怪我をしそうになれば咄嗟に庇い、自ら怪我を負うとはどういった具合なのだ? 代表の息子である僕に傷をつけまいという従者の志だろうか。
そうであれば感心だが、奏汰くんとは一番の親友であるし従者関係だと思われているならば距離を感じて些か悲しいものがある。
確かに家系で見れば今の僕達は従者関係のようなものだが僕は奏汰くんにそう関わってほしいと思ったことはない。奏汰くんが全てにおいて僕に勝っていることはいつ考えても憎しみしか湧かないが親密な関係になりたいと心の底から思っている。
だからこそ先に帰宅されてしまったことは大変悲しいのだが…
彼のために走ったのはいつぶりだろうか。いや、彼のために走ったことはないかもしれない。僕達は常に隣同士で歩いていたものだから走って追うことなどなかったのだ。
友人が奏汰くんしかいないということもあるのだが、余程好きなのだろうね。恨みは激しいがやはり好敵手であるから。単純に僕一人になることが寂しい。こんなことで寂しがっていては将来出世した時どう生きるのだろうか
それにしても下駄箱、校門を過ぎても見当たらないとはどういうことだろう。奏汰くんの下駄箱をチェックして上履きが入っていたことを確認したので外にいることは間違いない。
家にまっすぐ帰っていない可能性もある。それならば帰路を探しても見当たらないだろう。
そもそも先に帰ってしまった理由が分からない。それが分からなくては、居場所の検討が全くつかない。
さてどうしたものか…
「お前はそれで幸せなのか? もう俺のところに逃げよう、あいつらは普通じゃない。」
おや…
校舎の陰で何やら声が聞こえるが、これはどう聞いたって奏汰くんの声だ。彼の声だけは絶対に間違えるはずがない。
相手は誰だ…? いや奏汰くんが口説いているところなど見たくもないし相手も知りたくないのだが…
「それともこの先何年間も命を他人に預けて生きんのか?違うだろ?何なら俺達で逃げよう。俺も政府いんのやだし。」
もしかしてプロポーズの現場に居合わせてしまったのだろうか…より一層見たくないが奏汰くんがいないことには帰れないのだ。
奏汰くんが癖で自らの体調管理を気にするのと同じように、僕も癖で自分が何処かで倒れてしまった時のことを考えてしまっている。彼がどこか悪くすれば僕がいるし僕がどこか悪くすれば奏汰くんがいる。
一人になった時、身に何か危険が迫っていても誰にも助けを求められないから、二人でいるのだ。僕は一人になることが寂しく怖く、彼が一人になることも心配なのだ。
色々な面で彼に依存してしまっている気がするが、奏汰くんはどうなのだろう。彼を一人にしまいと思っている僕に対して彼は、案外僕がいてもいなくても生きていけるのかな。
政府にいたくないということは前々から気づいていたしそれについて言及もしたが彼は相手と一緒に逃げるつもりなのか? 家を出ると聞いていたが逃避行を練っていたとは…しかもそれが口説いた相手と…すごいな、とても素晴らしいロマンチストだ、親友ながら感動する。小説に書けるのではないか?
相手はどんな反応するかだな…奏汰くんに相手が出来たなら僕といれなくなってしまうのだろうか? それは嫌だな。断ってくれないか…
…? 今あちらに向かっていったのは確か
「…わたしは…幸せじゃない」
「じゃあ、」
「結梅!なんでそんなところにいるの!学校が終わったらすぐ車に向かいなさいって言ってるでしょう?!1秒も無駄には出来ないんだから!あなたも!結梅と話さないでちょうだい!変な噂が立ったらどうするのよ!今後一切この子と関わらないで。ほら、行くわよ」
結梅ということは、魅菫くんの関係者か。よく校門前で見る顔だとは思っていたが、魅菫くんの親? マネージャーか?
魅菫くんとおそらく密接な関係であろう大人は子供の意見や気持ちを伺うことなく力いっぱい引っ張っていく。その引っ張られていく魅菫くんも魅菫くんで何も抵抗することなく無感情な顔をしている。
お父様がメディアに出演した際、出演者に魅菫結梅のマネージャーがおかしいらしいと話をされていた。芸能界では裏でひっそりと回っている噂らしく、マネージャー本人には届いていない。魅菫結梅は麗凰の同級生じゃないか? とお父様に言われて気になってはいたが、まさか本当だとは…
親がマネージャーかは存じないが、なるほどあんな人間性だったら魅菫くんも感情を失うに違いない。スタジオでもあの様子ならば、不自然であるのは丸わかりだな。
さて…
「奏汰くん」
「何」
「帰ろうか」

「いつもあんなに女子のことを振っているのに今度は女子に振られてしまったのかい? 切ないね」
「ちげえよそんなんじゃ」
確かに奏汰くんには色恋沙汰への関心が全くないように見える。僕も大概関心がないが、奏汰くんの関心のなさは格別で、恋愛感情を胎内に忘れてきたかのようだ。
僕達が常に一緒にいるから奏汰くんに告白して失敗した子は次に僕に告白するし、僕に告白して失敗した子は次に奏汰くんに告白する。
本当に好きなのか僕達の地位を見てのことかは知らないが、どんな理由であれどちらも恋愛に興味がないが故全て断ってしまう。
その話は既に出回っていそうなのに未だに告白してくる子が多いということはもしかすると僕達への告白は運試し、記念受験だと思われているのではないか?
そんな感じであっても僕は「すまない、よく知っていないから」と断る。奏汰くん以外とはそこまで親密な関係ではないため断る以外術がないのだが…それに対して奏汰くんは「…? ごめん」としか言わない。普段あれほどまで優しく、しかも天然たらしであるのに実際告白されれば恋愛感情を知らない赤子のような、困ったような顔をする。
彼のそんなところが、よくわからない。
「それにしても奏汰くんも大胆だね。大人気アイドルを狙うとは」
「だから違うつってんだろ」
いつもなら目を合わせながら話してくれて、僕の茶化しに対しても目を合わせて反論してくるのに今回だけは一度も目を合わそうとしない。
いや、目を合わそうとしないというより目が死んでいると言うべきか。
奏汰くんの目が死んでいる。目に光がないのはいつもだが、今は何かに絶望していると言った方が正しいかもしれない。
まあだいたいの検討はついているが…
「自分に自惚れてた。俺なら、魅菫も救えると思った。一緒にどっかに逃げれたらどっちも解放されて、自由になれるって」
「自惚れることは良いことでもあるし悪いことでもある。奏汰くんの自惚れは悪いようには見えない。自惚れというより自信だと思うがね。それで他人を救えているのなら自惚れていようが大したものだろう」
「でも救えてない。救えなかったらなんの意味もないだろ」
これだから真面目な人間は…こんなことで悩んでいて本当に政府から出たあともやっていけるのか?
魅菫が死ぬかもしれない、と彼は言った。
魅菫くんの生活環境は知らないが、感情を持たずに操られたまま生きる人間はいづれ死に至るだろうとは思う。自ら操られることを望んでいたとしても、不死身でもない限り感情や考え、欲がなければ人間としての営みができない。
娯楽がないだけでも人は衰えるのに、その娯楽すらも楽しめなくなってはどうしようもない。
「無知の知、だよ奏汰くん。君に万物が救えるかい。救えないだろう。正義感の強くて真面目で優しい奏汰くんでも救えないものだってあるのだよ。それに、君が精神を削って彼女に尽くさなくても彼女は必ず報われるよ。だから奏汰くんはそこまで気に病まなくても…」
奏汰くんは静かに泣いていた。啜り声をあげることも、嗚咽をあげることもなく、目から無尽蔵に流れ続ける涙を拭くこともなく、静かに。
泣かないやつだと思っていた。跡継ぎになれないと知った時も泣かなかったと聞くし、四六時中寝るまで一緒にいて泣いているところを見たことがなかった。
いや、実際陰で密かに泣いていたのかもしれない。僕は彼のことを知った気でいるが、無知を自覚しなければならないのは案外僕の方な気がしてくる。
「え、そ…」
何も言えなかった。奏汰くんなら、親友が静かに泣いている時どうしてあげるのだろう。
彼の優しさは皆を救うし、傍から見るとそれは簡単そうに見えるが意外に僕がその立場になると全く簡単ではないのだ。
相手がクラスメイトであったり面識のない人々であれば簡単に言葉は出てくるだろう。常にそうしてきたから慣れている。
が、ただ、親友の前では「大丈夫かい?」も「具合が悪いのかい?」も「休もう」も何も言えなかった。
それはただ僕が優しい人間ではないというだけなのか?それは一理ある。が、本質はそれではない。親友以外であれば流れるように心配の言葉をかけてやることができるのだから、僕にだって少しくらい優しさはあるはずなのだ。
なら、何故一番親しい友人に、言ってしまえば家族にほぼ近いような関係性の友人に一言もかけてやれないのか。
確かに僕は奏汰くんより劣っている。トップといえど、一位と二位とでは遥かな差があるのだ。勉強面以外でも、優しさの面でも劣っている。でもそれは今声をかけてやれない理由ではない…憎しみがあって声をかけたくないわけではないのだから。
今クラスメイトや面識のない人々と奏汰くんが真横で泣いていて、どちらならすぐに声をかけてやれるのかと言われれば前者なのだ。声をかけてやりたいのは奏汰くんなのに。
二人とも黙り込んでしまって俯いてしまう。
自分に失望して倒れそうだ。
すぐに声が出ないのは政界において致命傷だと、お父様から言われてしまうかもしれないが、今はそんなことで失望しているのではない。
親友は誰かを救おうとして声を出し失敗しそれに失望しているのに、僕は親友を救おうと思っているのに声も出せずにいる。
不甲斐なさに今にも自殺したいくらいだ。
いや今自殺したいのは間違いなく奏汰くんのほうだろうが…
もう一度声を出してみれば少しくらいは単語のひとつくらい出るだろうか。
「…君は…」
炎天下でずっと突っ立っていたばかりに、顔をあげたと同時に目眩がした。
熱中症になる前に帰らなければ。体調を崩すのは奏汰くんが嫌がるだろうからね。
目眩が治まったので、彼をまっすぐ見て何か声をかけようと思った。
「…僕が…」
見たと同時に火花が目の前で散ったかのようなぱちぱちとした衝撃があった。まだ目眩が治まってなかったのだろうか、しかし悪い気はしなかった。
ぱちぱちとした衝撃は目眩ではなく、視界に映った美しい景色に脳が驚いたのだ。火花が散りきって目の前の景色を再確認してみる。
素晴らしい景色だった。
奏汰くんの涙を流しながら僕を見る顔と、入道雲と飛行機雲の浮かぶ真っ青な空が重なったのを見て、
ああ、なんて彼は美しいのだろう
と思った。
火花の衝撃が強かったので、最初ゆっくりと薄目ながら見ていたが、薄目であっても一目で美しいと分かったほどだ。
しかし彼の美貌に圧倒されて声をかけれないなんて、僕はそんな初心であろうか。もう人生の半分は一緒にいる相手にそんな感情を持つことがあろうか。初めて出会う感情であることと暑さも相まって何も理解出来ずに汗がだらだらと流れ落ちてくる。
いくら考えても理解出来ないものがあるというのはこれほど混乱するものなのか。奏汰くんのこともこのわけのわからない感情のことも、やはり無知を自覚するべきは僕だった。
画面の美しさに圧倒されてしまってやはり単語の一つも出なかった。そんな僕をみて奏汰くんはまた泣きながら俯いてしまったので、結局僕はなんの声もかけてやることができず、奏汰くんを無理やりに引っ張って帰った。
奏汰くんは家に帰ってすぐ、僕の顔を一瞥したあとに「ごめん」と一言言って僕の手を振り払ってしまった。


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